2022/05/21 09:09
画面から限りなく無駄を削ぎ落とし、存在する線。
一見筆で描いたように見えるこの線は、時間をかけ何十層にも重ねられた様々な
色のレイヤーの中で、最後まで残り、立ち現れた一番奥の色です。
いつの世も私たちを不安にさせる「何かが足りない」ではなく、
寡黙に「何が多いのか?」と気付かせる、ぎりぎり絵画として成り立たせる線。
それは消そうと思っても消せない個、画家自身に他ならない「自画像」なのかもしれません。
長き熟成を終えた日々の暮しの中の一事一物の断片、結晶ともいうべき小品たち。
今回、手のひらサイズの木端に描かれた小さな油彩を中心に展示いたします。
WATERMARKでは7年ぶりの個展です。ぜひご覧ください。
周 豪 cv
1960 中国上海市生まれ 10代を文化大革命の上海で過ごす
1983 留学のため来日
1988 武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画コース卒業
1990 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻版画コース修了
2008,10 Atelier Rémy Bucciali フランスにて銅版画制作
2016 Laforêt Summer Vacation Projectのためイタリア滞在制作
《主な展示》
2019 N3 Contemporary Art/北京、Art 021 Shanghai/上海
2018 Around Space Gallery/上海(2016)
2017「周豪+矢尾板克則2人展」Fuuro/東京
2014 杭州アートフェア/中国 (’12, ’13)
2013 The Affordable Art Fair Singapore (’12, ’11)
2012 AAF Bruxelles, 2012 ART Multiplied( Christie’s )
2011 The First Bejing International Print Expo, 中国 北京
2009,10 “ART PARIS” フランス パリ
2002,03,05,06,07,10 上海海芸術博覧会、中国 上海
個展を中心に絵画、ドローイング、版画作品を国内外で発表
一見筆で描いたように見えるこの線は、時間をかけ何十層にも重ねられた様々な
色のレイヤーの中で、最後まで残り、立ち現れた一番奥の色です。
いつの世も私たちを不安にさせる「何かが足りない」ではなく、
寡黙に「何が多いのか?」と気付かせる、ぎりぎり絵画として成り立たせる線。
それは消そうと思っても消せない個、画家自身に他ならない「自画像」なのかもしれません。
長き熟成を終えた日々の暮しの中の一事一物の断片、結晶ともいうべき小品たち。
今回、手のひらサイズの木端に描かれた小さな油彩を中心に展示いたします。
WATERMARKでは7年ぶりの個展です。ぜひご覧ください。
周 豪 cv
1960 中国上海市生まれ 10代を文化大革命の上海で過ごす
1983 留学のため来日
1988 武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画コース卒業
1990 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻版画コース修了
2008,10 Atelier Rémy Bucciali フランスにて銅版画制作
2016 Laforêt Summer Vacation Projectのためイタリア滞在制作
《主な展示》
2019 N3 Contemporary Art/北京、Art 021 Shanghai/上海
2018 Around Space Gallery/上海(2016)
2017「周豪+矢尾板克則2人展」Fuuro/東京
2014 杭州アートフェア/中国 (’12, ’13)
2013 The Affordable Art Fair Singapore (’12, ’11)
2012 AAF Bruxelles, 2012 ART Multiplied( Christie’s )
2011 The First Bejing International Print Expo, 中国 北京
2009,10 “ART PARIS” フランス パリ
2002,03,05,06,07,10 上海海芸術博覧会、中国 上海
個展を中心に絵画、ドローイング、版画作品を国内外で発表
N3 Contemporary Art 三远当代艺术/北京での個展会場 http://hiart.cn/news/detail/fa6jrtn.html https://amma.artron.net/observation_shownews.php?newid=1067966
'Simple', therefore 'fertile' 「簡素」ゆえに「豊穣」
言葉を添えることによって、見る者に特定のイメージを植え付けてしまうことを排したいという、周さんの作品にはタイトルさえありません。(便宜的に作品番号を配していますが)眼に見えるものを支持体に「再生」「再現」するのではなく、感情さえも極力排した表現を追求したいのだと言う。
あらゆるものが多弁で過剰に溢れているこの時代、「絵画」として成り立つ極限まで色や線を削ぎ落としている作品は、時々私を不安にさせます。画面にもう少し余剰なものがあれば、おそらく無難に気持ちが落ち着くのでしょう。自分自身の余計なものや、弱さに気付かされてしまうのです。周さんの作品は孤高で孤独です。けれど決して他者を排除するわけではなく、深くて、そして温かく、静かにそこに立っている。周さんという人そのもの。
自分の生の終わりが近づいた時に、言いようのない不安ではなく、心穏やかに周さんの作品と向き合うことができたのなら、それはたぶん私にとって至福な人生を送れた証なのではないだろうか、と密かに思っています。
上海のアトリエ
作品写真:いしかわみちこ
618(土)~7/2(日) にしむらあきこ展(Japanese paper)
*会期は変更される場合もございますのでweb,snsでご確認ください。